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大阪地方裁判所 昭和40年(行ウ)103号 判決 1973年5月14日

大阪市生野区猪飼野東一丁目三四番地

原告

山下源治郎

右訴訟代理人弁護士

山田一夫

右訴訟復代理人弁護士

岡村渥子

右訴訟代理人弁護士

細見茂

土田嘉平

大阪市生野区猪飼野中八丁目七番地

被告

生野税務署長

前川登

大阪市東区大手前之町

被告

大阪国税局長

丸山英人

右両名訴訟代理人弁護士

麻植福雄

右両名指定代理人

鎌田泰輝

金原義憲

井手智之

三上耕一

山本喜文

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

被告生野税務署長が昭和三九年五月三〇日付でした、原告の昭和三七年分所得金額を金五一八、七〇〇円と決定し、無申告加算税として金五、一〇〇円を賦課した処分、および昭和三八年分所得税の総所得金額を金六七二、五六〇円と更正し、過少申告加算税として金一、五〇〇円を賦課した処分を取消す。

被告大阪国税局長が昭和四〇年六月一八日付で原告の右処分に対する審査請求を棄却した裁決を取消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一、請求原因

1  原告は、昭和三七年分の所得税については確定申告をせず昭和三八年分の所得税については総所得金額を金三八六、二五〇円とする確定申告をしたところ、被告署長は昭和三九年五月三〇日付をもつて原告に対し、昭和三七年分につき総所得金額を金五一八、七〇〇円、所得税額を金五一、三八〇円と決定し、無申告加算税として金五、一〇〇円を賦課し、また昭和三八年分につき総所得金額を六七二、五六〇円、所得額を金三〇、六〇〇円と更正し、過少申告加算税として金一、五〇〇円を賦課する処分をし、原告に通知した。

原告はこれに対し異議申立をしたが、三か月の経過により審査請求がされたものとみなされ、被告局長は昭和四〇年六月一八日審査請求を棄却する裁決をして原告に通知した。

2  しかし、被告署長の処分は、適正な調査によらず、原告の所得を過大に認定した違法がある。また、被告局長の裁決は、原告の要求にかかわらず処分庁に弁明書の提出を求めず、さらに原告が原処分の理由となつた事実を証する書類の関覧を請求したのを実質的に拒否し、行政不服審査法二二条、三二条二項に違反した手続により審査請求を棄却したもので、審理不尽の違法がある。

よつて被告署長の処分および被告局長の裁決の取消を求める。

二、請求原因に対する被告らの答弁

請求原因1は認め、2は争う。

三、被告らの主張

(被告署長の主張)

1 原告は建築業を営むものであるが、その営業に関しては、昭和三八年分の出面帳を除きこれを記帳したものがなく、生野税務署職員の調査に際しても、収支の状況についての具体的な説明が得られず、右出面帳のみでは実額による所得の計算ができなかつたので、被告署長は推計により原告の各年分の所得を算出し、本件各処分を行なつた。

2 原告の昭和三六、三七、三八年の各一二月末日現在における資産負債の額は別表記載のとおりであり、当年末の純資産額から前年末(当年初)のそれを差引いて算出される昭和三七、三八両年の年間増加財産額にその年の消費支出額を加えた別表最下段記載の額が、当該各年分の総所得金額であつて(資産負債増減法)これは被告署長の決定または更正額をはるかに上回る。

別表記載の資産のうち、預金の半ば以上と自動車は原告の家族(山下恒夫、種子、鶴枝)名義のものであるが、原告方においては、原告が経営し恒夫が従事する建築業による収入以外には何も収入がないから、家族名義の預金等もその源泉はすべて原告の事業収入であり、したがつて原告の所得額の算定には、家族名義の預金および自動車をあわせて財産の増減をみる必要がある。また原告のいうような預り金は存在しない。

原告の消費支出額は、原告方が大体平均的な生活状態であつたと考えられるので、総理府統計局「家計調査年報」にもとづき、大阪市における一世帯(平均世帯人員数は、昭和三七年四・三七人、昭和三八年四・三四人)当り一か月の消費支出額(昭和三七年三九、九三七円、昭和三八年四五、三一六円)を原告の世帯(世帯人員数は昭和三七年五人、昭和三八年五・二五人)に適用し、つぎの算式により算出したものである。

<省略>

<省略>

なお、原告は自己の作業場およびトラツクを有し、工務店の看板を掲げて自己が建築業者であることを外部に表示しているものであるから、いわゆる一人親方にあたらないのみならず、自己の年収額を具体的に明示しないのであるから、原告主張の通達を適用して年収のうちの一定割合のものを給与所得とすることはできない。

3 かりに原告がいわゆる日雇大工であつて、日当計算による収入以外に一切収入がなかつたものと仮定して昭和三七年の所得金額を計算してみるに、日当を金一七〇〇円、年間稼働日数を原告と恒夫につきそれぞれ三〇〇日、必要経費を収入金の三割とし、恒夫の事業専従者控除をすると、つぎの算式により金六四四、〇〇〇円という所得金額を得ることができ、やはり被告署長の決定額を上回ることになる。

1,700円×300日×2人=1,020,000円

1,020,000円×(1-0.3)-70,000円=644,000円

(被告局長の主張)

4 処分の取消請求の訴と処分を維持した裁決の取消請求の訴とが併合提起されている場合において、処分に違法がなく処分取消請求が棄却されるときは、裁決に違法があつてもこれを取消すことはできない。けだしかりに裁決を取消してみても、審査庁としては原処分を取消す余地がなく、再び原処分を維持した裁決をするだけのことであるので、原告は裁決の取消を求める法律上の利益がないことになるからである。

5 被告局長は本件審査請求の審理にあたり、原処分庁たる被告署長に対して弁明書の提出を求めていない。しかし行政不服審査の手続において、審査庁が行政不服審査法二二条により処分庁に対し弁明書の提出を求めるか否かは、審査庁の自由裁量に属する。本件のような所得税にかかる審査請求の審理は、事案が大量に発生し、かつ処分に対する不服が概して事実の認定の当否にかかるものである関係上、処分庁から弁明書を徴し、これを審査請求人に送付し、同人からの反論書の提出をまち、これらの書面を資料として審理するよりも、審査担当官が自ら進んで必要な調査を行ない、処分庁の関係職員及び審査請求人から口頭で意見を聴取する方が、はるかに迅速で適正な処理をはかることができ、不服審査制度の趣旨に一そうよく合致するものであり、被告局長が被告署長に対し弁明書の提出を求めなかつたことは、裁量権の範囲の逸脱ないし裁量権の濫用ではない。

6 被告局長は、原告から処分の理由となつた事実を証する書類の閲覧請求があつたのに対し、昭和三七年分所得税の決定決議書、昭和三八年分所得税の確定申告書、同更正決定決議書、昭和三七、三八年分所得税の異議申立書、昭和三七年分所得税の異議申立補正命令書の閲覧を許可したが、原告は指定日に閲覧に来なかつた。これ以外の書類は処分庁から提出されていなかつたのであり、審査請求人は審査庁に対して、未提出書類の提出方を処分庁に求むべきことまで請求しうるものではないから、書類閲覧に関しても何ら違法はない。

四、被告らの主張に対する原告の答弁

1  被告署長の主張1は否認する。原告は日当かせぎの大工である。被告署長は、原告が生野民主商工会の会員であることを嫌悪し、何の調査もしないで過大な課税処分に及んだもので、これは申告納税制度の破壊である。

2  被告署長の主張2のうち、昭和三六、三七、三八年の各年末における原告、恒夫、種子、鶴枝名義の資産が別表記載のとおりであることは認めるが、負債および消費支出額は否認する。

しかして、家族(恒夫、種子、鶴枝)名義の資産を原告の資産に数えるのは明らかに不当である。しかもこの中には、原告が昭和三六年頃知人や親戚との共同出資により文化住宅の建売りを計画して左記のとおり出資金を預り、家族名義で預金していたものが含まれているから、これを原告の所得計算の基礎とすることはできない。

(1) 昭和三六年頃赤井春造(職人)から金一〇万円

(2) 昭和三六、七年頃井上幸治郎(職人)から金一〇万円

(3) 昭和三七、八年頃細井勇次(建具屋)から金二〇万円

(4) 昭和三七年西山一男(妻の弟)から金五〇万円

(5) 昭和三八年上村政義(不動産業者)から金六〇万円

つぎに、資産負債増減法により所得金額を推計するにあたり計算に加えられる消費支出額は、大蔵省作成の基準生計費表によるべきで、これを上回る総理府統計局の家計調査に基づくのは相当でない。また、被告局長の裁決の理由では、消費支出額は年四二万円とされており、この判断は関係行政庁を拘束するから、被告署長がこれをこえる主張をすることはできない。

なお、原告は常時使用人をもたず、職人として一定の親方にも所属していないいわゆる一人親方であり、その年収のうち事業所得と給与所得の区分の明らかでない場合にあたるから、通達(昭三〇年二月二二日直所五-八)により、年収のうち一定割合のものを給与所得の収入金額と取り扱うべきである。

3  被告署長の主張3の日当計算による推計は、戦後の中国抑留時に生じた左足首麻痺疼痛により歩行に支障を来たしている原告には、不適当である。

4  被告局長の主張5は争う。被告局長としては、審査請求が不適法であるなど特別な事情がある場合でないかぎり、処分庁に弁明書の提出要求をする義務があり、これをしなかつたことは、行政不服審査の手続で最も重要な争点の整理確定をしない態度のあらわれで、行政不服審査制度をふみにじるものである。

5  被告局長の主張6のうち、前段の事実は認め、後段の主張は争う。被告局長が閲覧を許可したものは、原告が閲覧するまでもなく自らも保持しているものであつて、これらは処分の理由となつた事実を証する書面にはあたらない。右閲覧許可は全く無に等しく、違法な閲覧拒否と同一視されるべきである。

第三証拠

一、原告の提出、援用、認否

1  甲第一ないし第三号証、第四号証の一ないし三、第五号証、第六号証の一ないし四、第七ないし第一〇号証、第一一号証の一、二

2  証人西山一男、上村政義の各証言、原告本人尋問の結果

3  乙第一、第二号証の各一、二、第三、第六、第八号証の成立を認める。乙第四号証の二ないし八は、摘要欄を除き原本の存在と成立を認める。その余の乙号各証の成立は不知。

二、被告らの提出、援用、認否

1  乙第一、第二号証の各一、二、第三号証、第四号証の一ないし八、第五ないし第九号証

2  証人村田好三、山口忠芳の各証言

3  甲第四号証の一は官署作成部分の成立を認め、その余の部分の成立は不知。甲第四号証の二、三の成立は不知。その余の甲号各証の成立は認める。

理由

一、請求原因1の事実(被告らの処分、裁決)は当事者間に争いがない。

二、まず、被告署長の処分について判断する。

1  成立に争いのない乙第三、第六号証、原本の存在とその成立に争いのない甲第四号証の二ないし八(摘要欄を除く)証人村田好三の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証、証人村田好三、山口忠芳の各証言を総合すると、原告は自己を営業主、長男恒夫を事業専従者とし、自宅の表側に作業場を設け、看板を掲げて建築業を営んでいるものであるが、被告署長は、原告が昭和三八年中に株式会社大協の工場建設工事をしたこと、および不動産を取得したことに関する資料を入手したことを契機として、原告を所得調査の対象に選定し調査を行なつたところ、原告がその営業に関する帳簿類として、昭和三七年分については何も提示せず、昭和三八年分についても大学ノートに作業の日時場所員数等を簡単に記載した出面帳の如きものを示したにすぎず、調査に対してもきわめて非協力的で、営業に関する具体的な説明はほとんどしなかつたので、被告署長はやむなく推計により本件各課税処分をするに至つたことが認められる。原告は、被告署長の本件各課税処分は原告が生野民主商工会の会員であることを嫌悪してなされたものであると主張するが、そのように認むべき証拠はない。

右に認定した事実によれば、原告の所得の実額による算定が不可能であつたことは明らかであり、推計によりこれを算出する必要性があつたといわなければならない。

2  被告署長が本訴において主張する推計方法は、期末の財産額から期首の財産額を差引いて得られる当該期間中の財産増加額に、その期間中における利益処分である消費支出額を加えるいわゆる資産負債増減法であるが、これは間接事実から端的に所得を推計するやり方として承認された一つの方法であつて、他により合理的な推計方式が存するとは認められない本件においては、資産負債増減法による推計は妥当なものとしてその合理性を承認すべきである。

3  昭和三六、三七、三八年の各年末における原告、恒夫、種子、鶴枝名義の資産が別表記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

前顕乙第三号証と原告本人尋問の結果によれば、原告の長男恒夫は原告と生計を同じくし原告の営む建築業に専ら従事する者であり、原告の妻種子と恒夫の妻鶴枝は原告の扶養家族であつて、いずれも独自の収入はなく、原告の事業収入が所得の唯一の源泉であつたと認められるから、恒夫、種子、鶴枝名義の資産をあわせて財産の増減を計算する必要がある。

4  原告は、家族名義の預金中には、原告が親戚知人の数名の者と建売りの共同事業を企て、その出資金として預つたものが含まれていると主張するので、その事実の有無を検討する。

まず、甲第四号証の一(官署作成部分の成立に争いはなく、その余の部分は証人西山一男の証言により成立を認める)は、原告の妻の弟西山一男が発信し原告に宛てた昭和三九年一一月二八日消印の封筒であり、甲第四号証の二、三(証人西山一男の証言により成立を認める)は、西山が原告の妻に宛てた書簡と証明書で、西山が昭和三七年頃原告の妻に金五〇万円を預けたことを確認し、税務署の調査があればそれに応ずる意思のあることを示す文言が記載されており、西山は証人としても右預け金を肯定する内容の供述をしている。しかし、封筒は原告宛で、書簡は原告の妻宛というくいちがいはさておくとしても、右封筒の消印の日付からすれば、それらが届いたのは被告局長の審査の行なわれている段階であるはずなのに、審査担当官に対して右書簡や証明書が提示された形跡は全くなく、原告がかかる預り金の主張をするようになつたのは本訴提起後六年近くたつてからであるというのは、まことに不自然である。のみならず、原告は当時これらの預り金に関する帳簿があつたとも供述しているが、もしそうだとすれば、預け主から証明書を徴するまでもなく、先ずその帳簿を審査担当官に示すのが当然であることを考えると、ますます不合理の感を免れないのであつて、甲第四号証の二、三の書簡と証明書が甲第四号証の一の封筒の中味であつたと認めることには躊躇を感ずるものであり、ひいてはその内容の真実性にも重大な疑問を抱かざるをえない。

つぎに証人上村政義は、昭和三七、八年頃右西山と同様の趣旨で二回にわたり三〇万円ずつ計六〇万円を原告に預けたと証言し、原告もこれに副う供述をするほか、原告はさらに赤井春造、井上幸治郎、細井勇次からも同じ趣旨でそれぞれ一〇万円ないし二〇万円を預つていたと述べているが、これらについてはそれを裏付ける証拠書類は存しない。原告の述べるところによれば、右預り金に関する帳簿書類は昭和四二、三年頃全部焼き捨てたというのであるが、本訴提起後被告署長から推計根拠の主張がなされ、争点が明らかとなつた後において、原告にとつてきわめて重要な証拠書類となるべき帳簿を焼却してしまうようなことは常識上とうてい考えられないのであり、原告のいうような帳簿があつたと認めることはできない。

そして以上のすべてを通じて、証人西山一男、上村政義および原告本人のいずれも、そのいうところの共同事業の具体的な計画内容について供述するところがなく、共同事業の企画そのものの存在が甚だ疑わしいのであつて、これらの事情を総合してみると、原告の主張する預り金の如きものは一切なかつたものと認めるのが相当である。

5  証人村田好三の証言により真正に成立したものと認める乙第五、第七号証によれば、原告の負債の額は別表記載のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。

6  資産負債増減法においては、資産から負債を引いた純資産の年間増加額に、その期間中の利益処分である消費支出額を加えなければならない。

成立に争いのない乙第三号証と原告本人尋問の結果によれば、原告方の家族構成は、昭和三七年中は原告夫婦と長男夫婦に孫一人の計五人であり、昭和三八年には同年九月二日生れの孫一人が加わり、右両年を通じ大体平均的な生活状態であつたことが認められる。

他方、成立に争いのない乙第一、第二号証の各一、二(総理府統計局編の家計調査年報)によれば、大阪市における年平均世帯人員数と一世帯当り年平均一か月間の消費支出総額は、昭和三七年が四・三七人で三九、九三七円、昭和三八年が四・三四人で四五、三一六円であることが認められる。

そこで、原告方の世帯人員数を、昭和三七年は五人、昭和三八年は五・二五人として、右統計値を適用して原告方の年間消費支出額を算定すると、被告署長主張のとおり、昭和三七年分は金五四八、三三四円、昭和三八年分は金六五七、八一二円となる。

原告は、消費支出額の算定は大蔵省作成の基準生計費表によるべきであると主張する。原告のいう基準生計費とは、各年次の課税最低限を定める際に参考として用いられてきたマーケツト・バスケツト方式による計数のことと思われるが(成立に争いのない甲第五号証参照)、現実の生活における消費支出額の推計には、総理府統計局が全国的な家計調査により市町村別、費目別に年平均の消費支出額を統計的に算出したものと認められる家計調査年報を用いるのが、より合理的であると考えられるから、原告の主張は採用しない。

なお、被告局長の裁決においては、原告の各年の生活費を金四二万円として所得を推計していることは、成立に争いのない甲第七、第八号証から明らかである。しかし処分庁は、裁決により原処分が取消されたときはこれに拘束され、裁決の内容を実現する義務を負わされるものではあるけれども、処分を維持した裁決の結果になお不服があるとして提起された処分取消請求訴訟において、処分庁が処分を根拠づけるためにする主張が裁決の理由中の判断と同一でなければならないものではなく、裁決がそのような意味での拘束力をもつと解すべき理由はないから、この点に関する原告の主張も採ることができない。

7  原告は自己の作業場を有し、看板を掲げて建築業を営んでいるものであることは前認定のとおりであり、原告本人尋問の結果に徴しても、原告は他人の指揮監督下に労務を提供して給与を受けているのではなく、むしろ一般顧客の求めに応じ随時長男恒夫のほか若干の者を使用して請負仕事をしているものと認むべく、請負か雇傭か明白でない場合にはあたらないから、原告の収入はすべて事業所得に属するものである。

8  以上認定したところによれば、原告の昭和三七、三八年の各年末における純資産額からそれぞれその前年末(当年初)の純資産額を差引いて得られる右両年の財産増加額と、原告の当該各年の消費支出額との合計額が、別表最下段記載の額となることは計数上明らかであり、これが原告の右両年の事業所得の金額である(ただし、昭和三八年分については、確定申告書に記載されている金七三、七五〇円の事業専従者控除を要する)。

そうすると、被告署長のした昭和三七年分の所得税の決定および昭和三八年分の同更正はいずれも右に認定した所得金額の範囲内であるから何らの違法もなく、したがつてこれに伴う加算税の賦課もまた違法はないことになる。

三、つぎに被告局長の裁決について判断する。

1  訴の利益について

被告局長は、処分取消請求が棄却されるべきときは裁決取消を求める利益がないと主張するが、処分取消請求棄却の判決には関係行政庁に対する拘束力はなく、またそれは当該法律関係自体を確定するものでもないから、裁決に固有の瑕疵が取消され審査庁があらためて裁決をする場合に、原処分を取消しあるいは変更することが(実際上は稀であるとしても)全くないとはいいきれない。したがつて、処分取消請求は理由がないときでも、なお裁決の取消を求める訴の利益を否定することはできないものと解すべきである。

2  弁明書について

被告局長が被告署長に対し弁明書の提出を求めなかつたことは、被告局長の自認するところである。しかし、審査手続に関して現行の国税通則法九三条のような規定のなかつた本件裁決当時においては、審査庁が処分庁に対し行政不服審査法二二条により弁明書の提出を求めるか否かは、審査庁の裁量に委ねられていたと解すべきことは、同条の文理上明らかであり、本件において被告局長が弁明書の提出を求めなかつたことが裁量権の範囲の逸脱ないし裁量権の濫用であると認むべき何らの事由もない。

3  書類閲覧請求について

被告局長の主張6前段の事実は当事者間に争いがない。被告局長が閲覧を許可した書類は原告においてあえて閲覧するまでもないものであり、原告の目的がこれでなかつたことは容易に推察されるけれども、証人村田好三の証言によれば、それ以外に原処分庁から提出された書類はなかつたことが明らかであり、被告局長としては不提出書類の提出を要求して原告に閲覧させるべき義務もないから、この点に関しても何ら違法はない。

四、以上説示したように、被告署長の処分および被告局長の裁決はすべて適法であり、原告の被告らに対する請求はいずれも理由がない。よつて原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下出義明 裁判官 藤井正雄 裁判官 石井彦寿)

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